HOMEへ戻る
言いたい放題MENUへ戻る
「ト ラ ブ ル 記 録」
*** このページは下の方から読んでください ***
Article No (0021). Date 2001/1/14
Subject:「トラブル記録一覧

= トラブル記録一覧 =
 1.トラブル記録開始
 2.神様出現?
 3.ST162カリーナED事故
 4.火災警報機事件
 5.スカイラインGT-R初運転
 6.カリーナEDバッテリー上がり
 7.ガス漏れ
 8.ゴルフバッテリー上がり
 9.バッテリー泥棒
10.白バイの仕返し
11.ランクル脱輪
12.レビン事故1
13.MR2脱輪
14.逝ったポケベル
15.レビン事故2
16.レビン事故3
17.トンネル内での名刺交換
18.トレノ煙を噴く
19.最悪の花火大会
20.新庄方面出張
ファイルが大きくなってきたので、トラブル記録はこの辺で締めます。
次ぎからはトラブル記録2にへ続きます。

>
Article No (0020). Date 2001/1/14
Subject:「新庄方面出張

 これは前の職場に居たときの話です。新庄方面で仕事があって、泊で仕事に行きました。
宿は赤倉温泉に泊まろうということで、普段使っていたD屋へ予約の電話をする。すると「お客様の都合でかかりません」というアナウンスが・・・(^^;。はて、どうしたんだろう?、やめちゃったのかな?、ここのでかい岩の置いてるお風呂けっこうお気に入りだったのになんて考えたが、連絡つかないことにはどうもしようもないので、別なところへ予約を入れることに。
  かといってどこが良いかもわからず、適当にS荘へ予約をする。

  出張当日、無事仕事も終わり、宿へ向かう。予約した宿はどこかなぁなんて思いながら歩く。ちょっと高いところに宿を発見し入り口へ向かうと、玄関を掃除していたおばちゃんがきょとんとこっちを見てる。
  はて?、何を見てるんだろうと思ったが、とりあえず「予約していた○○ですけど」と挨拶をする。
  宿の人が「は?」と聞き返してくるんで、もう1度名前を言うと「明日じゃなかったんでしたっけ?」と聞かれてしまった。おいおいおい(^^;。けっきょくなんも準備もしてなかったらしく、ついてから、ささーっと部屋の掃除を済ませ、案内される。

  さて、ひとっ風呂浴びようかななんて思い浴衣に着替えたら、お店の人が来て「今からお風呂出すんで30分ほどお待ち下さい」と言われる。なんかスムーズにいかない。

  で、風呂上りの次ぎは飯かぁと思ったら、またもやお店の人が来て「食事の準備してなかったので、店屋物でいいですか?」と言われる。良いも何もそれしかできないとのことで、そうすることに・・・。

  で、料金は普通の料金でした・・・・(^^;。なんかなぁ。

やえ     

>
Article No (0019). Date 2000/09/16
Subject:「最悪の花火大会

  2000年8月26日に行われた秋田県大曲市で行われた全国花火競技大会へ行って来ました。

  今回は友達が桟敷席を取ったと言うことで混み具合に関係なくゆうゆうと花火を見れるというなんとも贅沢な状態でした。

今回集まるメンバーが一関、気仙沼、古川、仙台、そして山形からと色々な方面から集まるという顔ぶれ(^^;。

  大会当日、いざ大曲へ行く準備をしていたら9:30頃だろうか、仙台組のZ君から電話が入る。
Z君:「今、会場に着いたんだけど、どこにいるの?」
(^^; (^^; (^^; ってまだ、山形出発してねーよー。こんなに早く行って何してたんだろう・・・。聞くと朝5時頃出発したとか・・・。

  まぁそれは良しとして、山形組の俺と藍ちゃんも10:30頃大曲を目指して山形を出発。R13号をひたすら北上する。途中、見事に新庄祭り渋滞に巻き込まれたが、それ以外は雨降ってるくらいで大きなトラブルもなく走行。

  湯沢駅で車を止め、後は電車で大曲駅まで向かう。駅のアナウンスだと現地は晴れたり降ったりの天候模様だが回復に向かってるとのこと。運も向いてきたようである。満員電車に揉まれながらやっとこ大曲駅に到着。

  会場まで歩いてみんなと合流。周りを見渡すと人、人、人(^^;。まぁ凄いもんである。携帯電話なんかは回線パンク状態で当然使えない。けどPHSは1つのアンテナでカバーするエリアが小さいせいか特に問題なく使えるよう。ここでDDIポケットのPHSの底力に感心。

  17:00から昼花火が始まるのだが、到着が16:30頃と見事な時間配分。みんなはお昼頃には着いて、がやがやとやっていたらしい。
  車なので初めだけ飲もうとビールに口を付け、昼花火を鑑賞する。弟は後ろの席の見ず知らずの人と騒ぎながら飲んでいる模様。
  聞いた話だと、午後1時頃からずっと飲んでたとか、午後1時頃には既にできあがっていた、とかとの事(^^;。

で、昼花火も無事に終わった頃弟が飲み過ぎたらしくトイレに行こうとするがちょいとフラフラなのでついていく。用を済ませ、席に戻って弟を横にする。寝せておけば大丈夫だろうということで、タオルをかけてそっとして置いたら・・・吐いてるじゃん(^^;。藍ちゃん指導で気管に入ったらまずいと言うことで体を横にする。

  ちょいと心配だったので様子をしばらくうかがう。初めはこっちの呼びかけに反応してたが、段々と鈍くなっていく。この辺から俺はちょいとやばいかなと冷静を装いながら焦り始める(^^;。救急の人を呼んできて見てもらう。血圧や脈や意識の確認等をして、状態が良くないので病院へ搬送することに決まる。

  事態が事態なので俺は付き添いで行くことにする。看護婦ということで藍ちゃんも付き添ってくれることに(付き添う義務があるわけでもないのにまことに申し訳ないです)。

  担架で救急車まで運ばれる。警察官の誘導であんだけ込み合っていた会場に映画の1シーンみたく一気に道ができる。気分はダイハード(^^;。救急車へ入れて救急の人と藍ちゃんで最初の処置を始める。俺は救急車の外から見てるしか出来ないです。
  処置が終わったらしく俺も救急車に乗り込み病院へ向けて出発。救急車が動き出すと同時に周りの人が避けて道ができる。凄い光景だ。

  弟は鼻に管を入れて気道を確保される。管の先は吸入効率アップのためかファンネル形状になっていた(^^;。血中酸素飽和度を測りながら走行。数値を見ても俺にはチンプンカンプン。聴診器で呼吸状態を見たりとテキパキと作業が進められる。
  途中胃液を吐いたりするので管を鼻や口に入れて吸い取りながら行く。病院に着き早速救命救急室での治療が始まる。ラクテックの点滴が開始される。意識レベルが100から300へ、なんて言葉も聞かれる。

  俺は弟について年齢、誕生日、住所、連絡電話番号等について聴取を行われる。「お酒に弱い人なんですか?」という問いには、「いえ、強い方です」と迷わず答える。「どのくらい飲んだんですか?」という問いには、さすがに途中から合流した俺は把握できていなく「かなり」としか言えない。うーむ。ここが重要な所なんだろうけどわかんない。

  一通り話を聞かれて、俺は救命救急室を出る。そしたらZ君も心配で駆けつけてくれたようだ。部屋の中では○○さんと必死に呼びかけを行っている。その間に実家等に連絡をする。病院だから当然携帯は使えない、というか病院の外に出ても回線パンクで使えない。で、公衆電話を使うのだが、普段携帯だけだからテレカを持っていない(^^;。1枚は持っておくべきだったなぁ・・・。

  で、テレカを借りて連絡を付ける。その後、お医者さんから「もしかすると透析の必要があるかもしれないから、泌尿器科に方へ1晩入院といことで」と言われる。

  そのまま病室の方へ。大部屋が空いてないらしく、個室に入ることに。点滴はずーっと続いている。素人目ながらものすごいハイペースで落としているが確認できる。

  とりあえず、一段落して外の花火の音が聞こえる。うーむ、ここまできて何しているんだろうと言う疑問が・・・・(^^;。お医者さんが「目覚めると暴れるかもしれないから、そしたらおさえて下さい」と言い残していく。俺は弟が鼻に入れてるファンネル官を取ろうとするのを阻止し、付き添うことに。

  点滴はなおもハイペースで投入されていく。外では花火大会も終わり帰省渋滞が起きてる模様。夜0:00頃だろうか、弟が目を覚ます、そんで15分くらいかけて今に至る状況を説明。本人も納得した模様、また眠りに入る。

  やっと、落ち着いたと思い部屋を出る。お医者さんも今まで暴れなかったようだから大丈夫でしょうと言ってくれたのでロビーへ行き仮眠を取ることにする。藍ちゃんは次の日、準夜勤といことで先に仮眠に入ってもらっている。申し訳ないです。

  今日の出来事をZ君と話し始めたあたりで、見回りの看護婦さんから「すみません、ちょっといいですか」と呼ばれる。行ってみると・・・弟が居ない、点滴スタンドが倒れている・・・(^^;。一瞬何が起こったのかと思ったが、部屋の奥の方で弟が立って、「トイレはどこだ」とブツブツ喋っている(^^;。そして点滴タンクから針が抜け血が逆流し部屋に血が垂れている。チンチンにバルーンをつけて自動的におしっこ収集するものも外されて、おしっこも部屋に散らばっている・・・。さすがにバルーンを抜くのは痛いためか接続部で外れてた。

  うちらが部屋を出た瞬間に問題を起こして・・わざとやってるんじゃないかと思った。けっきょくまた起きないように横で付き添うことに(T_T)。

  このあたりでZ君と仙台からきた"くま"が病院に到着する。渋滞がすごくて2時間に500mしか進まなかったとかそんな話を聞く。
  時間も時間になってさすがに眠くなってウトウトしたら、隣のベットに寝ているおあばちゃんが起きたらしく大声で叫び始める。俺は当然寝られない(^^;。こんな状態で朝まで行き、弟が目覚める。聞いてみると二日酔いにもならず、鼻の管のいずさを除けばさわやかな目覚めのようだ。なんか腹が立つ(^^;。

  仕事のため藍ちゃんは始発で山形へ向かう。うちらは弟の服を洗濯したりして午前中の時間が流れていく。と、弟のメガネと靴がない。昨日はあわてた状態で担ぎ込まれたからそこまで考えなかった。調べると、靴は一関へ、メガネは気仙沼まで行ってしまったようだ(^^;。

  お昼近くにやっとこ退院でき、一関へ向かい一件落着となった。今回は透析まではしないですんだみたいである。花火を見れなかったうちらは当然来年は弟に徹夜して桟敷席を取ってもらうと言うことで話が付いた。今回の弟の診断結果は当然の事ながら「急性アルコール中毒」、症状「昏睡」でした。

  しかしまぁ、病院側から見て急性アルコール中毒の患者って嫌だろうなぁと思う。不慮の事故や病気なら同情の余地もあるが、アル中は本人の無知と無茶でなるもんである。防げることしないで他人に迷惑をかけるというのはとてもたちが悪い。みなさん気を付けましょう。ちなみに今回こんだけお騒がせしてかかったお金が11,700円でした。俺はこうゆう患者からはもっともっと取っても良いんじゃないかと思った。

 ということで最悪の花火大会編終わりです。
やえ     

>

Article No (0018). Date 2000/7/12
Subject:「トレノ煙を噴く

  今回は弟の101トレノのトラブル録です。

  この事件が起こる1週間前位だったと思う。弟は一関の自動後退まで車のキーを複製に行く。別に無くしたとかそうゆう話ではなく、金色のキーが欲しかっただけのようだ。
  出来上がったキーをチェックするため弟が車にキーを差してエンジンをかける。エンジンは普通にかかったらしいが、セルモーターONの位置から通常走行の位置にキーが戻らなかったらしい(^^;。

  そこで自動後退の店員は「エンジンかかったら、キーを手で戻して下さい」と言ったそうだ(おいおい)。
そんな事言う店員も店員だが、それでそのまま帰ってくる弟も弟だ(^^;。きちんとキーを作れよなぁ。
  とまぁこんなことがあったらしい。

  1週間後、山形にいる俺の所に電話がかかってくる。弟からだった。

     弟:「兄貴、俺の車、もうダメだ」
    やえ:「は?」
     弟:「エンジンルームから煙り出た」

  と詳しい話を聞いてみると、親のカリーナEDが車検で居ないため、弟のトレノを通勤に使ったとのこと。
その時、このキーの事を知らなく、そのまま走行したとのこと。
  親は、アクセル踏めど踏めど速度が上がらず、イライラながらの通勤だったらしい(^^;。で、会社の帰りでついにトレノのボンネットから煙を噴き、動かなくなってしまう(^^;。

  とまぁこんな感じだったらしい。まぁセルモーター回りっぱなしで電磁クラッチ繋ぎっぱなしなんだから煙も噴くわなぁ(^^;。その場では、エンジンは壊れてないから大丈夫だ。みたいな事を言って電話を切る。

  修理工場に入院となったトレノは、故障となったセルモーター付近の修理となる。この辺は中古部品とチャッチャと交換され復活を遂げる。
  この時に、エアフロをコンコンと叩くとアイドリング不調になる現象が確認された。確かに弟のトレノは燃費も悪く、加速も鈍かったということで、エアフロも中古部品と交換することにした。調子の悪かったエアフロがこの画像です。

  で、セルモーター周り、エアフロを交換したトレノは燃費も上がり元より調子が良くなった。これが怪我の功名ってやつでしょうかね。
 トレノ煙を噴く編終わりです。
やえ     

>
Article No (0017). Date 2000/5/7
Subject:「トンネル内での名刺交換

  1998年の自衛隊松島基地航空祭へ行った帰りのことだった。職場の同期のkonちゃんと行ったのだが、当日はあいにくの雨でブルーインパルスの曲芸飛行は中止(この年で2年連続中止)。建物間の移動も傘を差さないといけないしとちょいと御不満な祭りだった。
  とまぁこの様な事を話しながら車を走らせていた。仙台〜山形間を移動するため笹谷インターから高速道路に入る。笹谷トンネルに入り少し走行してたら、5,6台前の車からハザードランプを順次点灯させてスピードを落としていく。
  訳も分からずレビン号も同じようにハザードを点灯、そして車の停車を余儀なくされる。何があったんだろうなぁと思っていたら、先頭車両の人が降りてきて後続の車に何か話しかけている。

状況説明の広報役の人だろうと思いうちらの所に来るまで待つ。レビンの横に来たので窓を開け声をかける

   やえ   :「なにがあったんですか?」
   謎の人 :「ええと、走っていたらエンジンかかんなくなってしまったんですよ」
   やえ   :「それは大変ですねぇ。JAFなんかに連絡しました?」
   謎の人 :「ええ、それでですね、車動かないんで牽引ロープなんか持っていたら貸していただきたいんですけど?」
   やえ   :「はい、わかりました」

ということで牽引ロープをトランクから取り出し貸し出しすることにした。(初めて笹谷トンネル内に立ったよー)

  そこで各々名刺を取り出し「私、こうゆう者です」(^^;と自己紹介開始。相手の連絡先を確認して、その場は別れる。
車は動きだし一件落着。

  後日、その人が会社に現れてお礼とその時の牽引ロープを持ってきてくれた。お礼はウナギパイだった(^^;。お菓子をつれて帰ってくるなんてなんて優秀な牽引ロープなんだろう(^^;。

  しかし、この件の外に二人ほど笹谷トンネルでエンジンがかからなくなったって人を知ってるのだが、このトンネル何かあるのだろうか?。

やえ     

>
Article No (0016). Date 2000/4/22
Subject:「レビン事故3

(以前に特集で書いていた文章をこちらに移しました)

 1999年5月26日仕事を終えて帰宅途中、ぶらぶらと寄り道ドライブをしていたときである。とある主要県道を走っていた。道は車で混み合ってノロノロ、いわゆる渋滞状態。

 前の車に続いて俺もゆっくりと走っている。時折ミラーにて後続車を確認する。後ろの車はHONDA LIFE。ルームミラーにハワイなんかで首にかけられるようなレイが垂れ下がり、ダッシュボードの上には白い綿あめみたいなので敷き詰められていた。運転手は髪を金色に染めた若いおねーちゃんが運転。うーん、俺的にはあんまし好きではないタイプの車である。

 しばらーく、のろのろ走り、前の車が停止したので俺も車を止める。と、その直後にガツっと衝撃が俺を襲う。後ろを見るとさっきのLIFEがぶつかってるじゃないか。うーむ、これまた面倒な事になったなぁと思ったが、とりあえず脇道にそれて車を停車。

 車の被害状況や怪我など無いことを確認して警察に電話する。単なる物損事故で両車共に自走可能なので警察署の方で事情聴取をする事になった。この時、デジカメを持ってこなかったことにちょっと後悔をする。

 山形市警の方へ移動する。ここに来るのも久しぶりだなぁ。交通関係の事を処理するお部屋に案内され、免許証、車検証のコピーをとり事情聴取開始。地図を指さしながら「この、やきとり大吉の前でぶつかって・・・・」って感じで話は進む。その後、車の写真を撮るため外に移動。

 警察の方が写真を撮り、その後、警官が俺の車の柿本のマフラーとショップのステッカーをジロっと見る。その昔、ショップが違法改造の店って事で一斉摘発された経歴があるが、俺の車はれっきとした合法改造車。なにも言わず、LIFEの方を見に行く。

 警察官の方がLIFEのクリアレンズに目がいき「ちょっと、ハザード点けてくれるかなぁ」と一言。髪が金色のおねーちゃんはいやいやながらもハザード点灯。うぅ眩しい。裸電球そのまんまだぁ、これじゃ車検通らんなぁ。警察官が「明日までに直してくること」と言うのをおねーちゃんがごねたら「キップを切るよ」の一言で引き下がったようだ。まぁ本人は元に戻す気はないらしい。

 その後、話を聞いたら「春の交通安全キャンペーンの前にマフラーを元に戻しておいて良かった」と言ってる。騒音規制オーバーの爆音マフラーだったらしい。このおねーちゃん、しゃべり方とか礼儀正しくてしっかりしているのだが、どうもちょっとずれているような(^_^;)。

 警察との話も終わり、今度は車を修理する整備工場に行くことにした。そのおねーちゃんが言うには腕の良いところらしい。とまぁ、この日はその整備工場まで案内してもらって終わりとなる。

 次の日、ショップにオイル交換の予約していたので凹んだ車を預け、夕方取りに行った。その時のお話である。「警察に捕まった後って、なぜか悪い事って起こるんですよねぇ。例えばシートベルトしないで捕まったら、今度はスピード違反で捕まるとか」(店長談)、うーん、俺、ゴールデンウィークに白バイに捕まったからなぁ、人ごとじゃない。
 「そのLIFEってレイが邪魔で前見えなかったんじゃねーのか」(社長談)。とまぁ雑談をする。

 エンジン、ミッション、パワステのオイルを交換したレビンを運転して、そのまま整備工場に行く。うーん、このままドライブできないのが辛い。
整備工場に着き、社長とお話をする。写真を撮り、修理終わるまで1週間くらいかかるとのこと。代車を出してもらい、後はレビンが完治してくるのを待つだけである。
参考画像はここをクリック

やえ     

>
Article No (0015). Date 2000/4/15
Subject:「レビン事故2

  俺とアバウト王早坂氏(以下早坂氏)は趣味であるラジコンカーを走らせるために山形西バイパス沿いにあるシバタモデルサーキットに居た。走行料を払い激しいバトルが始まろうとしてる。
  各々ご自慢のラジコン(?)を出しステアリングトリム等のセッティングを開始する。路面温度によっても動きが変わるので、その日のコンディションを確認するために数周走らせ大体OKというレベルになった。

  これからマジに走らせようとしているときにお店の人から声がかかる。

   店員:「すみませーん、お客さんのお車ってレビンですか?」
   やえ:「そうですけどぉ」
   店員:「えぇとですね、ただ今、お車をぶつけられたという方が見えてるんですが・・・」
   やえ:「え?」
   店員:「ちょっと来ていただけますか?」
   やえ:「はいはい」

  と急いで現場に向かう事に。現場には2人のおばちゃんが居た。とにもかくにも自分の車の具合を見てみる。そしたらトランク部分が凹んでいる。バンパーに傷は何故か無いようだ。フロントまわりを見てみても傷は無し。参考画像はここをクリック
  ぶつけた加害車両はHONDA LIFE。リアバンパーが全体的に歪んでいる。レビンのリアトランクとLIFEの高さがだいぶ違うのでなんでこんな凹みになってるかかなりの疑問が残ったが、そんなことよりこの状況をどう示談するかが先だ。
  先方はまず先に謝罪の言葉が聞かれるかと思われた。しかし、そこはおばちゃん魂、そう甘くはなかった。俺の車の岩手ナンバーを見て

   おばちゃん:「岩手の人なの?」
       やえ:「違うけど」
   おばちゃん:「あー良かった。岩手だったらどうしようかと思ってたのよ。名前と住所おしえてちょーだい」

  って、人としてなんか間違ってないかい(^^;。少なくとも相手に迷惑かけているんだから謝るのが第一だろうし、人に名前聞く前に自分から名乗るもんだろう。
  でもまぁ、ここは仏のやえ(?)と呼ばれる俺の事なので、当て逃げしなかっただけでも良しとしなくちゃいけないと怒りは抑えて、とりあえずその辺はグチグチ言わないことにする。事故のことが解決してないのそっちで喧嘩して話がこじれたら後々面倒だ、早坂氏の方がなんか切れかかってたみたい(^^;。

  当然の事ながら相手が全額負担となり(といっても保険だが)、その後ラジコンでバトルすることなく、修理工場に直行となった。
  その夜にでもあやまりの電話をかけてよこすかなぁ?とも少し思ったけど、かかってきませんでした。おそるべし、おばちゃん。

やえ     

>
Article No (0014). Date 2000/3/25
Subject:「逝ったポケベル

 しばらく前に会社で、個人がポケットベル携帯をするように決められた。
機械の故障が起きた場合にすぐ呼び出しをできるという理由からだったが、周りの人はプライベートな時間も仕事に関わられているようで気分的に嫌だと言うのが共通意見だった。
  今ではこのシステムに慣れてきて特に騒いでないが、ポケベルを家に持って帰らなかったり、鳴っても気づかなかったりする事が多々あるというのもその理由であろう。

  はじめてポケベルが手渡されたときは、世の中でもポケベルが流行っていた頃なので仕事以外に「ベルトモナロウ」というメッセージが昼夜問わず入ってきたりした。
  今では全くこんなメッセージが入らなくなってしまった。メッセージ打ち込むのが面倒だったからと、納得といえば納得だが、あんだけ流行っていたものがあっという間に変わってしまうというのは時代の移り変わりが早いなぁと思わせる出来事だった。

  職場のとある人は、ベルトモナロウというメッセージに付属する電話番号のデータベースを作り、このメッセージが来たときは「こいつとこいつをくっつけてやろう」みたいに、リストからピックアップした番号を送ってやったりと無償の仲人役をする人もいたが、その後のその効果がわからないんで面白みと言う点ではあまりないかもしれない。ほんとにサービスだね。

  で、本題に入る。ポケベルはベルトに付けて使用している人が多数だ。これがトイレに行ったときにベルトから外れて落っこちるという経験をした人も多数いるでしょう(多分)。

とある人の話である
「いやぁ、トイレ行ったらポケットベル落としちゃって、間違って流したよ」
うーむ、どうみても故意にやったとしか思えない・・・(^^;。

やえ     

>
Article No (0013). Date 2000/2/13
Subject:「MR2脱輪

  とある日の夜2時頃、家の電話が鳴り出す。
こんな夜中に何だろう?と思い受話器を取ってみる。

電話の相手:「やぁ」

この第一声でZ君というのが判別できる。こちらも「やぁ」と返し、本題に入る。
以下、電話の内容(昔の話なので、記憶に残ってるのだけ)。Z君はいつも通りのんびりとした口調で話す。

  Z君:「今、国道286から横に入ったところを走っていたら、スピンして側溝に落ちたの。助けにきて」
  やえ:「え?、側溝から出られないの?」
  Z君:「側溝からは出たけど、外れないの」

側溝から出たけど外れない???やえの頭はチンプンカンプンになる。
その後、場所を聞こうとしたけど、どーもわからない。結局。

  Z君:「うーん、いいや。今から行く」ガチャ

ん?、こっちに来れるのか、彼は何の助けを求めていたのだろうと思ったが、Z君を待つことにした。
20分くらい経った頃だろうか、家の外に車がやってくる。
  あれ?TRUSTのマフラー入ったMR2ってこんな音だっけかな?と思い出てみると、そこにはスカイラインとRX-7が居るじゃないか。
  RX-7からZ君が出てきて「この人達におくってもらったの」と一言。やえ納得。

  この時間帯を入ってる走り屋の人って基本的に親切ですよねぇ。普通の車(?)なんかだと、トラブってるの見てもそのまま通り過ぎる車多いしぃ。まぁ走り屋の人がこの時間、暇があるから親切になれるのかもしれない。

  送ってくれた人達にお礼を言い、Z君から話を聞く。要約すると、オーバースピードでコーナー曲がっていたらリアが流れ、そのまま左フロントを側溝に落としてしまったらしい。
  左フロントがパンクしたが、危険防止のためコーナーに車を置いて行くわけにもいかず、見通しの良いところまで自走。そこでタイヤ交換を行おうとしたら、ナットすべて外しているのにタイヤが外れない。よって、俺に助けを求める電話をしたそうだ。

  なんとなく話が分かったところで、レビンに長めのバールを積み、MR2救出に向かう。
三角停止板を立てて止めっているMR2を発見。早速状況を見てみると、確かにナットが外れているのにタイヤが取れない。
  Z君:「キャリパー傷ついても良いから外して」 とGOサインが出たので、バールをタイヤとキャリパーの所に引っかけ、てこの原理でエイとやったら、タイヤが外れた。タイヤの穴を見ても変形してないし、なんで外れなかったか不明である。

  テンパータイヤと交換して、一件落着。ふぅ

やえ     

>
Article No (0012). Date 2000/02/05
Subject:「レビン事故1

  1998年冬。とある夜に新庄市のとある田舎道を走っていた。天気は晴れてはいるが、路面は圧雪状態。
というわけで、コーナーではサイドブレーキをかけ、リアを流しながら遊んでいた・・・。
 「やっぱカウンターの状態からグリップの状態に持っていくときの戻しが遅れるなぁ。ふらついてしまう」
なんて事をやりながら走っていた。

  人間の感覚の慣れとは恐ろしいもので、はじめはゆっくりな速度でやっていたのが、次第と速度が速くなっていく(^^;。とある速度を超えてやった時にそれは起こった。

  カウンター自体も間に合わず、振り替えしも予想以上きてレビンはコントロール不能の状態に(^^;。
あれま、あれまといううちにあさっての方向に向かっていく。とりあえず道路幅を教えるポールや電柱にぶつけないようハンドルを操作しながら道路横に向かっていく。

  ズンと軽い衝撃とともにレビン停車。「あ〜あ、やっちゃった」と思い被害状況を確認するため車外に出てみると、あれ?、ボディー自体は何ともない。リップスポイラーが破損。タイヤは・・・フロント2本、左後がパンク。3輪のホイールが若干の損傷だった。なんでスペアタイヤが3本無いんだなんて思ったが(おい)、自走不能と判断を下し、ハザード点灯、三角表示板を起き近くの民家を探しに歩く。

  民家を見つけ電話を貸してもらう。JAFへ電話してユニックキャリアを持ってきてもらう。家族会員だったので呼び出し料などはただ。さすが#8139(?)だ。近くのガソリンスタンドまで運んでもらい、走行距離超過分の料金を払いJAFの人と別れる。

  そのガソリンスタンドで中古タイヤを探してもらう。195/55R15というタイヤがあいにく無く、1ランク扁平率が大きい60のタイヤを2本ほど購入。ホイールへの組付けを行ってもらうのだが、若干のホイール損傷してたため空気漏れが心配だったけど、うまく組み付けられた(一安心)。

  買ったタイヤ2本+スペアタイヤでなんとか山形市まで帰還。アライメントは大幅に狂ったけど、一時はどうなるかと思った(^^;。

やえ     

>
Article No (0011). Date 1999/12/3
Subject:「ランクル脱輪

  今回も職場の人のお話です。仮にその先輩をKさんとしましょう(^^;。

  とある冬の朝、職場に電話が入る。
        Kさん:「車が脱輪した〜。 年休」   ※年次有給休暇
  ということで、通勤途中に車を脱輪させてしまって、出勤できなくなってしまいました。ここからKさんの奮闘記が始まります。

  脱輪した場所は田んぼの間の細い道。ドアを開ければもう、そこは地面って位に傾いてしまった。とりあえず車輪を駆動してみるが、ズブズブと沈むだけで状況は悪化するばかり。仕方なくJAFを呼ぶことにした。

  電話で状況を説明しJAFの人が登場。ところが現場を見て「うちではどーしようもできない」と言って、出張旅費だけ取ってJAFの人は帰ってしまった(^^;。何しに来たんだか。

  次ぎにKさんは親戚を呼び助けてもらうことにした。その親戚は以前にウィンチ付きの四駆に乗っていたが知り合いに売ったため、それをわざわざ借りてきて助けに来てくれたそうだ。ウィンチを引っかけランドクルーザーを引っ張る・・・・が、引っ張る車の方が引き込まれてしまい脱出不能(^^;。

  途方に暮れたKさんは、近くで道路工事しているのを発見。そこに行き重機でもって助けてもらえるよう交渉。1台のパワーショベルがランドクルーザーの救助に向かう。無限軌道のパワーショベルが田んぼの中を走っていき、ランドクルーザーの前に姿を現す。ショベルにランクルをひっかっけ引き上げを試みる。

  ここはさすが重機でいとも簡単に持ち上がったそうだ。ようやくランクルは脱出することに成功しやっとこKさんは帰路に立つことができたそうだ。ここまででやく1日かかってしまったそうだ。重い車が脱輪すると大変だなぁ。

やえ     

>

Article No (0010). Date 1999/12/3
Subject:「白バイの仕返し

 今回は職場の先輩から聞いた話です。仮にこの先輩をSさんとしましょう(^^;。

  時は今から約30年前とのことで、何かの用事で秋田から山形に帰る途中のことです。Sさんは友達2人を車に乗せて走っていました。

  と、ある交差点で赤信号につかまり停車しました。車の前には白バイが信号待ちをしていて、後ろから白バイを眺める形になったそうです。
  信号が青になり各車一斉にスタート・・・・のはずが、白バイが思わぬエンスト(^^;。それを見たSさんのお友達2人が、白バイに向けて

     「馬鹿じゃねーの」  とか  「へたくそー」  とか  「免許もってんのかー」

等と罵り、そのまま白バイを抜き、普通に走行し始めた。

  ちょっと行ったところで速度制限が40kmから50kmに解除になりSさんは、速度を上げたところさっきの白バイが赤色灯を点けて迫ってきた。

  Sさんは白バイに捕まってしまい、何かと思ったら時速11kmの速度違反とのこと(普通この位で捕まえたりしねーよー)。
ここで、速度制限が変わってから速度を上げたかどうかが問題の焦点になるところだと思うのだが、白バイの若いあんちゃんは、こちらの言い分を全く聞かずキップを切ってしまったそうだ。
  (俺の疑問:その白バイは何メートル追尾したつもりでいたんだろう???)

  で、可哀想なのはSさん。友達が罵声を浴びせたのに、とばっちりを食らってしまったし(^^;。
しかし、こうゆう仕返しに、権力を使うというのは我々庶民からしてみると非常に反感買うよねぇ。

やえ     

>

Article No (0009). Date 1999/4/7
Subject:「バッテリー泥棒

トラブル記録のネタは溜まってるんですけど、緊急性を要すると思いちょっと新しめのネタをアップします。

 1999/8/29 にシバタモデルサーキットでラジコンを走らせていた。久しぶりの走行って事でちょっとハッスルしてた。その時来ていたのは4人で、バッテリーの充電が終わり次第順次走らせていた。その他、走っているのを見学に来ていた中学生らしき人物も3人くらい。ちょこちょこと見学に来る人もいた。

 4人が同時にコースインする時があり、思う存分レースを楽しんでいたのだが、バッテリーが切れたのでピットへ戻った。そうしたら、充電完了してあるバッテリー2つが無い・・・・どこに行ったんだと探すが出てこない。
 周りの人に色々と事情聴取をしてみたところ、俺がコースで走らせている間に中学生らしき人物3人が、俺の工具箱の付近にあつまり、物を動かしてたと言う証言を得られた。うーん、あやしい。しかし、その時は中学生らしき人物の姿はないので調べようがない。まだ、こいつらが犯人と決まったわけじゃないから何とも言えないけど。
 無くなったバッテリーはとあるショップブランドで山形近辺では売ってない物で、俺とアバウト王早坂氏位しか使ってなので、もしそのバッテリーを使った人を見かけたらご一報ください。画像はここをクリックすると開きます。

 しかし、人の物を盗むなんて最低だよな。バッテリーなんてそんなに高い物じゃないから、別に戻ってこなくてもいいんだけど、人の盗む行為自体が腹が立つ。犯人を見つけたら絶対に許さんぞー。それ相応の措置をしないと。ということで皆さん犯人逮捕にご協力ください。

やえ     

>
Article No (0008). Date 1999/8/29
Subject:「ゴルフバッテリー上がり

今回は従兄弟(以下、きくやん)の車、VWゴルフのバッテリー上がりのお話です。

 きくやんは当時、北海道の方の大学に通っていて、向こうでゴルフを買いました。夏休みだったので岩手の方へ帰省してきたのだが、買ったばかりのゴルフも持ってくることになった。本人は先に到着していたのだけど、車の方はフェリー輸送と言うことで、少し遅れることになりました。
 俺の所にやってきて「仙台のフェリー埠頭まで送ってて欲しい」と言われた。俺も車を見たいというのもあり、俺、弟、別の従兄弟、きくやんの4人で車をとりに行きました。フェリーから車をおろすときに自分でやると料金が安くなるとかって言ってたかな。
 朝早く出過ぎたのか、道路が空きすぎていたのかわからないが予定よりかなり早い時間に到着。フェリーがやってくるのをジーっと待つ。
 フェリーが埠頭に到着し、早速車降ろしの作業に入る。きくやんは免許とって間もないので、船から降ろすのは別の従兄弟が担当することになった。車がうちらの前に姿を現す。古い型だけど見た感じボディーはかなりの上物に見えた。ここから2台に分乗して一関に帰ることになった。高速道路を使いピューっと移動。家に到着してきくやんの車の試乗会を少し行う。慣れないせいか左ハンドルは運転しづらい。ウィンカーを出そうとして、ワイパーを動かすお決まり事もやったし(^^;。とまぁ、試乗会も無事済んできくやんは家に帰ることになった。

 その日の夜です、きくやんから「エンジンがかからない」と電話が・・・。他車の電気を使い、少々充電して家まで持ってきてもらい、バッテリー充電器にてフルチャージを行った。半ドアかなんかしたんだろうとその時は思った。

 次の日である。「またバッテリーが上がった」と電話が・・・(^_^;。今度は半ドアにもしてないことを確認してたので探索に入る。そうしたら、ラジカセの電源がキーを抜いても落ちないことを発見。そんなに電気を食うところでも無いと思いながらも、その時ここしか原因が見あたらなかったので、アクセサリーから電源取るまで手動で電源を落とすように指示した。

 次の日である。「またバッテリーが上がった」と電話が・・・(^_^;。俺は今まで冬場にエンジンのかかりが悪くなるくらいしか、バッテリー不良の現象を見たことないんですけど、JAF呼び出し1/3はバッテリーのトラブルって事だから、充電できなくなるって位バッテリーの劣化のトラブルあるんだろうなぁと思い、初めて見る現象だ、って感じでAUTOBACS一関店に購入に行くことにしました。バッテリーを少しだけ充電してAUTOBACSへ行く。比重を見てもらったが悪いとのこと(そりゃそうだフル充電してないんだもんな)。
 AUTOBACSのお兄ちゃんは「もうバッテリー逝ってますよ、交換しないとダメですね」と言うので、容量の大きい物に変え、他に悪くなりそうなとこは無いか聞いてみたら無いとのこと。
 AUTOBACSのお兄ちゃんは「ほら、エンジンも良くかかるようになったし、もうバッチリですよ」と言い、お墨付きをもらった。かなり得意げだった(^^;。

 次の日である。「またバッテリーが上がった」と電話が・・・(^_^;。こりゃ根本的に原因を探らないといけないなぁと思いテスターで電流及び電圧チェック。エンジンOFFの状態で電流は流れていない様なので、オルタネーターを疑ってみる。電圧を測ってみると、バッテリー側より電圧が低い。こりゃ発電してねーなぁ。と確信。念のためにエンジンをかけたまま、バッテリーを外すとエンジンストップ。整流器かオルタネーターどちらが悪くなったかわからないがこの辺を直してもらわないといけないので、VWの車を扱っているトヨタ店に行くことにした。一関のトヨタ店に行ってみると「VWの修理はうちではやってないんで、水沢の方に行ってください」と言われる。水沢まで行ってらんないので、直接DENSOに修理をお願いすることにした。

 DENSOさんは、快く修理を引き受けてくれたが、部品が届くまで手を着けられない。部品は2〜3週間で届くとのこと。VWの車ってけっこう売れていると思ったら、部品取り寄せにこんなにかかるのね(当時の話ね)。外車は壊れると大変だなぁとこの時思ってしまった。
 2週間後くらいに部品が届き、修理が終わると普通に車が動くようになりました。ここでゴルフバッテリー上がり編は終わりです。

 やえ    

教訓:保証のない中古車はどっかおかしい。
一覧へ戻る

>
Article No (0007). Date 1999/8/9
Subject:「ガス漏れ

  山形で何故か知り合った、中学校の時の先輩「もみ」の車に新しいクラクションを付ける作業を行いました。一関の母校の出身者にまさか山形で会うとは、世の中狭いですねぇ。会ったときはもちろん面識はなかったです。

  コクピットで配線を延長するコードを買ってきて、早速取付を開始する。延長コードの両端に端子を圧着し、純正クラクションのコードを引き抜き、延長コードを接続する。
  新クラクションまでの配線をして、いざボディーに取り付けるわけだけど、予定していた場所がフレームとの物理的にぶつかって取付ができない(よくあることである)。色々とクラクションの角度を変えてみたりしてもNG。仕方ないんで、フレームに付いてるゴムみたいな物等々を取っ払って取り付けようとする。「ネジが1本余ってしまぅ〜」とか「邪魔そうな物はすべて取っちゃえ」って感じで、作業者はかなりのハイテンションで進行していく(^^;。

  大体の場所が決まり、後はネジを締めるだけで作業完了・・・の予定だった。ネジを順調に締めていく。後少し締めたら終わりかなと思った瞬間、車から「プシュー」と気体の漏れる音が(笑)。何だ何だと思って、ネジを抜いてみるがガス漏れの音は止まらない。どうして漏れ始めたのかなぁと思って、鏡を使い作業してた付近の裏側を覗いてみたら、さっきまで締めていたネジが見事にエアコンのラジエターにヒット(^^;。そこから冷媒である134aのガスが漏れちゃいました。おかげでクラクションの音は変わったけど、冷房が効かない車が出来てしまいました(^^;。すまん>もみ。

教訓:意味が無さそうでも車のパーツをむやみに外して作業するのはやめよーね(笑)。
 やえ    

>
Article No (0006). Date 1999/5/25
Subject:「カリーナEDバッテリー上がり

 とある日、ドライブに行こうとして車にキーを差し込みドアロックを解除する。集中ドアロックなので、普通なら4つのドアがカチっと音を立てて開くはずである。

 しかし、開いたのは運転席のみ。ちょっと違和感を感じながらもシートに座り、セルモーターを回そうとするが、ピクリとも動かない。あちゃー、どっかのドアを半ドアにしてしまったかなぁと思い、ドライブを断念。
 車からバッテリーを外してお家まで運び、充電をすることに。

 次の日、充電完了したバッテリーを車に搭載し、エンジンをかけてみる。ブォーン、きちんとエンジンがかかり、これで良しかなと思った。

 その次の日、またもやバッテリー上がってしまった(^_^;)。なんでじゃー。今回は半ドアが原因じゃ無いことがわかっているので、原因探索に入る。
 オーディオ関係はキーをOFFにすれば電源が落ちるので問題無い見たい。
 ヘッドライトの消し忘れでもない。
 うーん、原因がつかめん。一応アクションとして、ルームランプを常時OFFにしてみた。

 またバッテリーを充電して、様子を見ることに。今度は1週間くらいもったのだが、けっきょくバッテリー上がり。これは困った。

 このままじゃ原因が見つからないということでディーラーに持っていくことにした。メカニックの人に軽く見てもらったのだけど、おかしい所は見つからなかったようだ。なんか納得いかないのでクランプ式電流計を借りて、キーを抜いている状態での電流を測定してみることに。

 測定結果 16A

 おいおい、電流流れすぎてねーかー(^_^;)。やっぱ車がおかしいって事で、再度原因探索。

 結局、パワーウィンドーのスイッチが、窓が閉まっても中立に戻らず、ずーっと電気を流しっぱなしだったようだ。パワーウィンドーってキーを抜いても電気流れるのねぇ。ST162 EDだけかな?。

 その後、負担のかかっていたパワーウィンドーのモーターも逝ってしまった。車が古くなってくると色々なところに故障が出てくるもんですねぇ。
やえ     



Article No (0005). Date 1999/5/3
Subject:「スカイラインGT-R初運転

  これも、まだ一関にいた頃のお話です。秋頃に白菜の収穫のお手伝いをさせられていた時です。

  俺のお仕事は、畑からとった白菜を堤防の上まで運び、車のトランクに詰めお家まで運ぶって作業です。収穫量がそこそこあったので何度かに分けで運んでいました。

 その時乗っていたのはST-162カリーナEDです。堤防の上の脇に車を止めて、ヒーコラと稼いでいました(^_^;。いい汗(謎?)をかいている最中に、堤防の上に1台のスカイラインが現れる。マフラー変えているため音がけっこう響いている。音の重さから「ターボ車だなぁ」と弟と話していた。

  そうしたら、EDの後ろの辺りで「ブォーン、ブォーン」とエンジンを吹かしている。俺は???と思ったが、それほど気にしないで畑作業を続ける。その後スカイラインが前後に動き出した。前に行ったりバックしたり。
  車は脇に寄せていたので通れないはずはないなぁ。実際に大きめの車も通行しているし、更に俺は???な状態になった。

  しばらく、そこで何かやってたスカイラインだが動きを止め、運転手が降りてくる。女性だった。そしてこちらに向かって「すいませーん」と声をかけてきた。俺はなぜ呼ばれたかわかんなかったけど、とりあえず呼ばれたところまで行ってみることにした。

  そうしたら
     スカイラインの女性:「すみません、怖いんで運転してもらえますか?」
               俺:「は?、いいですけど」

  という会話がなされる。要はEDとのすれ違いが怖いために右往左往していたようだ。ターボっぽい音だったからGTS−tかと思っていたら32型のGT-Rじゃないか、とりあえず 「すごい車乗ってますねぇ」 と、とりあえず褒めておいた。そしたら、女性:「え、そうなんですか、私わからないんです」との事。マフラーも変わっているし、旦那さんの車なんだろうなぁと理解した。

  で、車を運転するためにGT-Rの運転席に乗り込む。助手席にはお子さんが、ちょこんと座っていた。GT-Rのエンジンをかける。ブォーンと音がする、この時初めてGT-R乗ったので、俺はちょいと感動(^_^;。

  その直後である。助手席に乗っていたお子さんが「ママはどこ?」と聞いてきた。俺が「そこだよー」と指さしてあげたんだけど。そのお子さん「ママがいなーい!!」と泣き始めてしまった。やばい、俺こーゆーシチュエーション苦手なんだよなぁ(^_^;)。

  GT-Rをゆっくり動かし始めると、お子さんの泣き声のボルテージがグンと上がる。母親は助手席の窓を叩きながら「○○ちゃん、あと少しの辛抱だからね」となだし始める。なんか、俺って無茶苦茶悪者になってないかい(^_^;

  わずか10m位車を動かしただけなんだけど、この子にとって俺は強盗か誘拐かなんかに間違われたんだろうなぁと思った。母親の方は「ありがとうございます」と言って去っていったが、このお子さんにとってこの出来事が精神的障害にならないでほしい(なるかいな(^_^;))。

やえ     

>

Article No (0004). Date 1999/4/20
Subject:「火災警報機事件

 このコーナーを書いていると、古いお話ばっかだなぁと思ったので、今回はもっと古い話にします(^_^;)。

 中学校に行っていたときのお話です。俺は、とあるクラブに入っていました。クラブ名はあえて言わないでおきますが、活動が認められて岩手県庁で表彰を受けて来たりもしました。

 とまぁ、対外的には良いことしてそうな部だったんですけど、普段の活動は学校の死角的場所にある部室にて、フィルムケースをボールに、ほうきをバットにしての野球とか、どっかから拾ってきた廃材の棒を用いてのホッケーとか、相撲大会とか、学校の裏山に遊びに行ったり、部にMSX(昔のパソコン)があったので、それにMSX FANの一画面プログラムとかを打ち込んでゲームしてたり、理科室の薬品を用いて叩くとパチパチ破裂する簡易火薬(?)を作って(ヨウ素をアンモニアに入れて乾かすだけ)いたずらしたり、10円玉を銀メッキしてみたりと、好き勝手やってました(^_^;)。多分もう時効だから話しても良いだろう(悪用はしてないよ)。

 フィルムケース野球なんかはけっこうはまって、打った打球で蛍光灯を破壊したりして、「隠せ隠せ」みたいな感じで活動してました(^_^;)。文化祭の出し物としてはヒイラギの葉の葉脈だけ取り出し、しおりにして配って喜ばれるなか、水素に火をつけてパンと音をだす出し物で、操作を誤り三角フラスコを木っ端微塵に爆破して、劇薬である水酸化ナトリウムをばらまいたりと多大な迷惑をかけたりしました。

 ということで先生に目を付けられるのは当然なわけで、時々遊んで無いか見るために校長御自らガサ入れにやってきたりするので、こちらも見張りを立てるなどの対抗手段を用いて応戦。そしたら、更に嫌がらせのごとく、部室にオウム製紙、大王製紙などの紙類を勝手に置いていき物置されてしまった(^_^;)。
 そんな事でめげるうちらでは無いわけで、その紙の入った段ボールをおもちゃにして遊び出すと、また怒られてしまうし。まぁこんな事やってる部でした。こう活動を振り返ってみると色々やってたなぁ。
 生徒総会で色々うるさい人々がそろってたんで、それ以上きつくはしてこなかったかな。

 冬場は部室がすんごく冷えた。ストーブは部室にあったのだけど、他の部には支給されている石油が支給されないため、勝手に他の部屋に支給される石油をランダムに強奪してきて、暖をとったりしてました。これだから職員室での評判が悪くなるんだなぁ。

 とある寒い土曜日の午後。帰宅部の人はお家に帰るし、クラブやる人はクラブ活動を始める時間帯の事である。我が部も活動開始したわけだが、いかんせん寒い。しかし石油も無いことだし部費で買っていたメチルアルコールを少し燃やして暖まろうと言うことになった。鍋を持ってきてメチルアルコールをトクトクと注ぎ、火を付ける。慣れたものである。勢い良く火柱が立ち暖かくなる。と、その次の瞬間に火災警報機がけたたましく鳴り響く「何だ何だ?」と思いとりあえず蓋をして火を消す。天井を見てみると、火災感知のセンサーがあった。しまった、真下で火を焚いてしまった(^_^;)。

 その後、校内放送が流れる「下校中の生徒、クラブ活動中の生徒はすぐに教室に戻りなさい」
うーん、やばい。普段は正直者で通っている俺でもこれは言えないと思ったので、センサーをいじっていたら鳴ってしまったという事にした(^_^;)。全校生徒に迷惑をかけてしまった。せっかくの土曜なのにねぇ。
 教室では全体に警告みたいな事が行われ話が終わる。その後部室に戻ったら、さすがにセンサーが感知した場所だけあって事情聴取にあう。先ほど話してたウソを通しなんとかその場をしのいだが危なかった。ほんとの事言ってたら廃部になってたかもしれないしねぇ。

 その後のお話。
うちらの代が卒業した翌年。学校の死角な場所にあったこの部室は閉鎖され、監視の効く場所に部室を移されたらしい。うぅむ・・・。

やえ     

>
Article No (0003). Date 1999/4/12
Subject:「ST162カリーナED事故

 これは俺が初事故を起こしたお話です。

 車の免許をとって約3〜4ヶ月経った頃の事である。運転になれてきた初心者ドライバーが一番事故を起こしやすい時期だなぁと初心者ながらそうは思ってはいたのだが、例に漏れず俺も事故を起こしてしまいました(^_^;)。こんな事知識としてもっていても全然役にたたないという証拠です(おいおい)。

 その頃、俺専用の車と言うのが無かったので親の車を運転していました。昼間は親が車を使うので、必然的に俺は夜運転することが多くなる。つう事で夜な夜なドライブしてました。ちなみに今は絶版となったカリーナEDってエキサイティング・ドレッシーの略なんですねぇ。略した方がかっこいいや(^_^)。
 車の運転になれてきたこの時期に免許取ってはじめて雪が積もった。「こりゃぁ〜ドライブしかないっしょ〜」ってなかんじで、お友達のZ君を乗せてドライブにGO。
 特に行くあてはなかったので適当に雪のより積もってそうな方へドライブ。岩手県衣川村を走っていた。この衣川村って星空日本2位だっけかな(ちょっと前まで1位だったかな)というところなんで、星見るには絶好の所です。雪も圧雪状態となり、いい感じである。てきとうに走っていたら道が細くなり、地図を見てもなんにも無さそうな感じの所だったので、引き返す事にした。

 今通ってきた道をそのまま戻る途中、緩い下り坂。その先には左カーブだった。普通に走っていたつもりだったのだが、そんなに速度は出てなかったもののED痛恨のアンダーステア。うーん、ハンドルを切っても曲がらないよー、という状態だったのでサイドブレーキを引いてリアを流しとりあえず車の向きだけでも変えることに。さすが雪道である、法定速度以下なのにリアが流れる流れる。が、フロントは既に流れていてリアも流れたので車全体が流れてる状態(笑)。初心者の俺はこんなののコントロールの仕方知らないよーってわけで車のなすがままに(^_^;。
 迫り来るガードレール、ガードレールの先は川だって状態なんだけど、車自体はゆ〜っくり流れるので川下に落ちることは絶対無いと確信してたため、車内はそれほど緊張感は無い。この時、雪道ってこんなにも滑るのかぁと言うことを学習。
 車が本当に止まりそうって瞬間にガードレールに軽くヒット。車の中ではこんな会話が

 俺:「これって事故だよね」
Z君:「多分そうだよ」
 俺:「どの位の被害かなぁ」
Z君:「この位だと軽い方だよ。止まるとき全然ショック無かったよねぇ」 ・・・なんか緊張感がない。

 とりあえず車を降りてみることに。フロント右先車幅灯のクリアレンズ破損。右フェンダー軽いへこみ。右側面、局部的にへこんでいる。ガードレールの出っ歯た部分だけに当たったようだ。
 路面状況は圧雪ではなく、完全なアイスバーン。川の近くってこうなってるとこ多いかなぁ気をつけよう。
 事故、起きてしまったもんはしょうがないので、場所だけ確認してそのままお家に帰る。次の朝車を見てみると、本当に傷が点在している。見た目は大した被害じゃないけど、修理額的には大きいんだろうなぁとその時気づく(^_^;。朝一番で警察に事故証明を取りに行った。そして警察官の人に車を見てもらう。
警察官の人がぱっと車を見て一言「どこ?」。俺が、その点在した事故跡を「ここ、と、ここ、と・・・」と説明して納得した様子。もっと大きな事故と思っていたようだ。その後事情聴取が

 警:「事故を起こした時間は?」
 俺:「午前2時です」
 警:「何してたの?」
 俺:「雪が降ったんでドライブしてました」
 警:「・・・・」 沈黙 「で、どうしてすぐ警察に来なかったの?」
 俺:「夜遅くにご迷惑をかけるのもなんだと思ったんで・・・」
 警:「事故を起こしたらすぐ警察に通報するものなの、自動車学校で習ったでしょ」 やえ、怒られる。
 警:「同乗者は?」
 俺:「友達が一人」
 警:「何している人?」
 俺:「無職です」  ※今は就職しています。
 警:「・・・・」

 とまぁ、こんな感じで事情聴取が終わる。その後、親は「お前に車を貸すと壊される」と言い自分の車を買った。つう事で「やえ」ST162型カリーナEDをGET。まぁ結果オーライってとこでしょう。
 今回の教訓1は”事故るとわかった場合は、一カ所を集中させて壊しましょう。分散させると高くつく
(今回は保険使ったので、あんまし関係なかったけど)
 教訓2は、”親の車を運転している人は、軽い事故をしておくと自分の車になる可能性がある”
(運転禁止って言われても俺は知らない)
というとこですかね(^_^;

やえ     

>


Article No (0002). Date 1999/4/7
Subject: 「神様出現?

はじめのお話は、まだ一関にいたときのお話です。

 実家には茶の間に仏壇と神棚があり、祖母が毎朝早起きをしてお仏様にお経をあげています。朝に弱い俺はその姿をあまり見たことがないけど、毎朝4時とかに起きて拝むとはよくやるものだと思う。

 で、とある朝、神棚にお供えしていたご飯が無くなっていた事に気づく。祖母は「神様が召し上がったんだ。ありがたや、ありがたや」と更に信仰深く拝み始めたが、俺は単に入れ忘れたんじゃないのか、とその時は思った。
 しかし、その出来事が2日、3日と続くとさすがに俺もおかしいなぁと思うようになった(気づくの遅いよ)。
まぁ、さして大きな問題ではなかったんで、そのままにほっといておいたが毎日ご飯が無くなる。
 ある日の夜、その茶の間でテレビを見ていたら、なんかゴソゴソと音が聞こえる。テレビの音を消し音の方向を確かめると、神棚の方向からだった。こちらも身動きを取らずじーっと神棚を監視。数分の沈黙が茶の間に流れる。しびれを切らした敵が姿を現した。
 敵の正体は、小柄のネズミ。ネズミが出現した後でもじーっとしていたところ、一目散にお供え物のご飯へ行く。
こいつが犯人だったのか。つうことで対策を考える。

対策1:ネズミの通路をふさぐ
 ネズミの通路をふさぐ様に物を置いたらあきらめるんじゃないかと思い、適当なものを置いてみる・・・が、別ルートを使ってご飯までたどり着かれてしまった。別ルートに物を置いてもあきらめる様子無し。つうことで、これは決定打にならなかった。

対策2:捕まえる
 捕まえてやっつけてしまえばOKかと思ったのだが、出現する時間が不定で万が一会ったとしても、すばしっこくて捕まえられず。

対策3:罠をしかける
 トムとジェリーの戦いの中でよく出てくる、ネズミがチーズを食べるとバチンとネズミを捕まえる罠を使えばネズミ退治ができるぞ、と思いペットセンターへ行く。ところがこうゆう罠より、毒を盛ってネズミ退治を出来る物があった。よってこれを使ってみることにする。
 この毒というのが、食べるとネズミの視力を奪うという代物。ネズミの視力が無くなれば、薄暗い家の中に入ってこなくなり、家の外でご臨終を迎えてくれると言う優れ物。罠でネズミを捕まえても、その後の処理が困るという現代人の悩みから生まれた商品らしい。
 で、ご飯の代わりにネズミ用毒を神棚にお供えすることに(^_^;。なんか罰当たりな感じもするが基本的に無宗教、なんかイベントがあるときだけ軽薄な仏教徒になる典型的日本人な俺は関係ないか(^_^;。
 毒を設置して1日、2日・・・毎日綺麗に毒を平らげてくれている。1週間位したらついにネズミが毒を食べに来なくなった。
その後ネズミがどうなったかわからんが、一件落着である。

やえ     

>
Article No (0001). Date 1999/4/7
Subject:「トラブル記録開始

みなさん、こんにちは「やえ」です。

 ここのコーナーの始めを何のお話を書こうかなぁ・・・と考えたんですが、第1話は私の身の回りで起こったトラブルと、それらをどのようにして克服していったかを紹介していこうと思います。
 俺自身のんびりした性格なんで、それほど書き込みが増えるとは思わないし、内容も激しい物は無いと思うのですが、まぁよんでやってください。

やえ     

>

言いたい放題MENUへ戻る
HOMEへ戻る