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「 羊ちゃんとの思い出 」

Article No (0004). Date 2002/02/19
Subject:「羊ちゃんがやってきた

  レビンを買うと決め、商談モードに入る。が、その前にやえの考えるスポーツカーとはどんな車か、という価値観を書いておこうと思う。これはおそらく他の人と考えている事と違うかもしれないが・・・。

  世の中には沢山の車が出ている。車雑誌ではそれらを各ジャンルに分類し説明が書いてあったりする。セダン、ミニバン、RV、等等たくさんある。中にはどのジャンルに分類するかわからなさそうな車も。
  その中でスポーツカーと言うジャンルがある。似たようなものでスペシャリティーカーと呼ばれているものもある。なかなか区分けが難しそうに見える。

  が、やえ的に簡単に考えようと思う。車の楽しみ方って色々ある。例えばみんなで旅行に行ったり、キャンプに行ったり、物を運んだり等等。

  色々車の楽しみ方がある中で「運転すること自体を楽しむ車」を目的として作られた車を総称してスポーツカーと呼んでもよいのかな、と思う。駆動方式とかは関係ないです。

  エンジンパワーがどうのとか、限界性能がどうのとかは車を楽しむ要素の1つではあると思うけど、それが絶対条件ではない。レースするわけじゃないから。それらが格段に優れていて速い車でも運転が面白くないのだったらスポーツカーではないと思う。
  車の外見やシートの着座位置、メーターの感じ、シートの出来具合、ハンドルを切ったときの車の挙動、アクセルに対する加減速の感じ等等等、車の運転を楽しめるか楽しめないかを決める要素がたくさんある。中には車の歴史・伝統というものを気にする人もいると思う。それらのバランスがうまく作られている車をスポーツカーと考えたいと思う。

  居住性を確保しながら楽しい走り、なんかを謳い文句にしているのはスポーツカーではないです。

  そこでレビンを見て見ると、大衆車のカローラをベースに、スポーツグレードはエンジン、足回りのチューニング等で差別化を図っている。さらにAE111前期型の最大の売りは先代より大幅な軽量化である。そして、グレードによってはトヨタ独自のスーパーストラットサスペンション装着車という設定もある。
  走りを楽しむための車にするためにこんだけの手が加わっている。
  専用設計のものに比べればスポーツカー度は低いが十分スポーツカーと呼んでも良いかなと思う。これはインテグラSir同様、シビックSir同様である。

  逆にレビンのXZ、FZという廉価版グレードがある。これはらレビンの格好をしたカローラセダンという感じがしてスポーツカーではないと思う。外見を意識するスペシャリティーカーかな。
  ただ、XZ、FZを運転を楽しむために改造を施し、スポーツカーにしている人もいる。要は乗り手次第だろう。

  ということで、やえはカローラ店に行く事となる。各グレードの見積もりを取る。廉価版XZとスポーツグレードBZ−Gとの価格差があまりにもあるので驚いた。XZをいじるのもいいかな(^^;とちょっと心動かされたが、お店の方の「スポーツエンジン搭載車買わないのならばレビン、トレノを買う意味がないですよ」と言われスポーツエンジン搭載車を選択しようと決める。まったく、ごもっともな意見である。

  選べるグレードはBZ-G(マクファーソンストラット装着車)、BZ-G(スーパーストラット装着車)、BZ-Vの3つ。BZ-Vはマニアックかなと思い、BZ-Gのどちらかから選ぶ事になる。
  が、メカ好きのやえである。特殊な構造のスーパーストラットサス装着車を選ぶのは当然である(^^;。
  というか、今これを選択しておかないと、一生このサス形式の車に乗れなくなるかな?という想いもあったのである。

  それから値引き交渉が始まる。半年くらい粘っただろうか(^^;。その間にメーター周りが赤くなったりとの小変更が加わったりしたが、無事平成8年6月に納車となる。

  それまで乗っていたカリーナEDは納車日1週間前にマフラーの太鼓部分と接続されているパイプが腐食のため外れたりとダダをこねたりしたが、下取り額0円だったのでそのままお店に引き渡される。
  12万8千キロ走行でお別れとなった。

  このときレビンにつけたオプション品はリアスポイラー・リアワイパー、サイドマットガードとカーナビである。スポーツカーにカーナビをつけるのは邪道だとよく言われるが、やえの習性からして仕方がない事なのである。

  納車され、このレビンを大事に乗っていくために愛称をつける。「羊ちゃん」である。
  なんでこの名前にしたか忘れてしまったが、多分、カタログスペック的にもライバル車から見れば格別凄いところもないし、レースとかでもそんなに目立った感じもしなく、どちらかというと地味な存在というという所から「羊の皮を被った羊」つまり羊だ、という所だったのかもしれない。

  これから羊ちゃんとの生活が始まるわけである。
やえ     

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